この図書館に来るのも何年ぶりだろうか。
少なくとも12年は本を借りていない。
借出券の最後の更新には2004年と書いてある。
夏休みの読書課題。
大学でも出るのか、変わらないのだな。そんなことを思った。
もっとも指定された本は小難しく、そして面白そうな本ほど高かった。
図書館にあるならそれに越したことはないが、あるのだろうか?
久しぶりの館内は記憶の中の印象と変わらなかった。
実際には多くの本が増え、書架に並ぶ本も入れ替わっていることだろう。
本があって、人がいる。
久し振りの自分にとっては少し懐かしい場所だが、ここはここで在り続けてきたのだ。
検索端末に向かう。隣の端末には小学生くらいの少年がいた。
一番読みたかった本は見つからないようだ。そんな気はしていた。
隣の端末をチラリと見やると「ズッコケ」の文字が見えた。
自分もハマって読んでいたシリーズだ。今でもやはり少年に人気なのかと思うと少し感慨深い。
これも最終巻が出たのは2004年だ。刊行されてからまもなくして読んだ記憶がある。
別の指定本は置いてあるようだったが、探すのに手間取る。
棚の場所も端末の見方も忘れかけていて、棚と端末を何回か往復することになった。
よく通っていたころの自分なら、もっと手際良く見つけられただろうか?
そうしてやっと見つけた本だが、これが意外と分厚く、パラパラとめくってみてもいまいち読み切る気にはなれない。
借りるだけ借りるということも出来ただろうが、逡巡の後、棚に戻した。
さてどうしようか、というところである本のことを思い出した。
「ぼくがぼくになるまで」というその本は、かつて図書館で何回も探しては置いておらず、結局借りられなかった本だった。
知ったのは「地下室の幽霊」という本の後ろにある広告からで、そのタイトルに強く惹かれたのだ。
エンタティーン倶楽部というレーベル名通りの児童文学で、他には「電送怪人 ネオ少年探偵」というのも買ってもらって読んだ。
これも2005年くらいの話である。
ずっと心に引っかかっていたそのタイトルを検索端末に入力すると、あっさりと見つかった。
だが配架図では児童書コーナー全体が示されていた。どこを見ればよいのか。とりあえず見てみる。
知らない本も多いが、知っている本がそこかしこで目につき心のどこかでホッとした。
「ズッコケ三人組」シリーズも、「ぼくらの七日間戦争」シリーズも、「都会のトム&ソーヤ」シリーズも。
……あれ、どんな話だっただろう?
どれも読んだことはある。とても面白かった。でもその長いシリーズは殆ど覚えていないのだ。
「ズッコケ中年三人組」という続編を読んだ記憶はあるが、その後はどうなっているのだろうか。
「都会のトム&ソーヤ」は中学校の図書室で読んでいたのだが、卒業して以降の巻は読めていない。
何にせよ今からでは、理解できない続きを読むよりは最初から読み直すのが妥当になるだろう。
でも読み直すには膨大な量である。これから読み直す日は来るだろうか。
自分の何処かを形作る、思い出せない物語が、再び表出することはあるのだろうか。
作家名順に並んでいることにはすぐに気がついた。いや、こんなことも忘れていたのか。
そうして、やっと見つけた。どうするか少し思案して、これをこの場で読んでいくことにした。
図書館以外の場所にも行く予定はあったが、このくらいのボリュームの児童書ならすぐ読めるだろう。
最近でもたまに本屋に行くことはあるが、図書館ではすぐ読める状態で置いてあるというのがありがたい。
「これらの広大な創作をあなたは自由に摂取できますよ」と言われているようで充足感がある。
空いている椅子を探して腰掛け、少し駆け足で読み始めた。
文字は大きく、読みやすい。推理要素もあったが、自分はあまり考えずにラストまで読みきってしまうタイプである。
円滑に読み終えた。児童書ということもあって描写は簡潔だが、とても自分好みだった。
本に関しては、あまりハズレを引いたことはない。直感で読みたいと思った本は大体面白い。
ともあれようやく欠けていた小さなピースが埋まったような気分だ。
図書館を後にした。課題の本は一番読みたいタイトルの物を買うことにした。ハズレにはならないだろう。
「ぼくがぼくになるまで」も読みきってしまったので借りていない。
近いうちにまた行くかもしれないし、行かないかもしれない。
借出券の最後の更新は2004年のままだ。
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